基本的に備忘録

あれこれ

麒麟がくる(22)「京よりの使者」

ついに『麒麟がくる』が再開しました。

今回は新しい登場人物の登場と物語の背景、並びに登場人物たちが今後どのように動いていくのかという方向性を描いたイントロダクション回だったように思います。

 

<出来事>

桶狭間から四年後
近衛前久登場 / 細川藤孝、十兵衛のもとへ見参 / 十兵衛、再び京に行く / 東庵と駒の喧嘩 / 伊呂波太夫と近衛 / ご一行大和の国へ/駒、覚慶と出会う / 三淵兄弟と十兵衛/義輝と十兵衛 / 十兵衛と東庵/

 

足利義輝

以前から将軍として武家の棟梁でありたいと思う強い気持ちと、何もできない自分の無力感の葛藤を抱えていたように思いました。今回その葛藤が益々大きくなったように感じました。今までは何もできないことによる虚無感がありましたが、今回はその葛藤が苛立ちとなって全面にでてきていたように思います。それについては、改元による一悶着があって自分の権威のなさをまざまざと感じさせられたり、月日が経っても何も状況が変わらないことが根底にありそうに思いました。

実質的な権力を持っている三好長慶を暗殺しようと考えていましたが、その考えを改めて別の方法で権威を取り戻そうとしていました。

十兵衛

義輝が自分の思いを赤裸々に語るのを聞いた十兵衛は、義輝の心の中に蔓延る雲を払ってあげたいと考えるようになります。

十兵衛も義輝と話して感じた思いをオブラートに包みながら東庵先生に話しますと、東庵先生からは「やれることを1つ1つやるしかない」というアドバイスをいただきました。

前途多難であることが予見されるような第2部の始まりでした。

 

その他

・京に行こうとする十兵衛と義景が対面しているときのBGMが怖すぎました。あの演出で家族の面倒をみてくれると言われても安心するどころか逆に不安になります。

・何にでも効く薬を無料で処方する駒に東庵はどうして怒ったのか。得体のしれない薬を配っていることに対する危惧だけなのか。東庵先生は元々何を目論んでいるのか分からないところがある。

松永久秀が奥さんを亡くしたことで、喪が明けるまでは鳴り物を禁止しているにも拘わらず、伊呂波太夫を奥さんに迎えいれようとする所は面白かったです。申し訳ありませんがスケベジジイにしか見えませんでした。伊呂波太夫の貢ぐ人がいる発言はその場でこしらえたものなのか、実は本心でこの想いが物語に絡んでくるのかは気になるところです。

・覚慶について「どこの寺の僧かも分からない」と施しを受けた民が語っていたあとに紀行でどこの寺だったのかしれっと解説されていました。

 

メモ

・十兵衛は何の本を読んでいるのか気になる。

・藤孝が珠を抱いたときに泣き止んだエピソードはほっこりした。

・伊呂波太夫の出自が明らかに。旅芸人として自由に立ち回れる立場から今後も色々と関わってきそう。

・元々本郷奏多の顔が白いせいか病気を患っているというのがとても似合う。

・『麒麟がくる』の義輝は事あるごとに能が絡んでくる。実際の義輝も能を好んでいたのか、それともこの時代にとって能というのは何か特別な意味を持つものなのか、作中の能は何かの暗喩なのか。

・覚慶はとてもカラっとしていた

 

今回は登場人物が多かったり、場面もよく変わりましたので、内容が盛りだくさんでした。それゆえに自分の中で整理しきれていないところがたくさんありましたが(笑)、イントロダクションということで今後も視聴しながら整理できたらと思います。