基本的に備忘録

あれこれ

過去の思い出に囚われた地縛霊

 ソーシャルゲームに関する書き込みを各所で見ていると、一部愚痴や不満の書き込みが見られます。常に文句を言いながらプレイする人もいますが、最初には楽しんでいたのに段々と不満ばかりを言うようになっていく人たちも時々見かけます。

 ガチャで当たりを引いたり、高難度のステージをクリアして喜んでいたのに、段々とそのような書き込みが減ってガチャの当たったことを喜ばずにガチャの爆死を愚痴ったり、運営やゲームを批判し始めたり、わざわざつまらないと言ったり。。不満を言いながらわざわざ課金してガチャを回してその結果に文句を言っている人も見かけました。

 自分は現在やっている信長の野望20XXを含めてソーシャルゲームは2つしかやったことありません。ですが両ゲームともにそういう人達は複数人見かけました。なので、おそらく多くのソーシャルゲームに一定数発生するんだろうと思います。不満に感じてもプレイし続けてしまうのは今までやってきて簡単にやめられないからだと理解できます。でも、元々楽しんでいた人がそのようなことを書きこむようになってしまうのはどうしてだろうと思っていました。

 

 

 

 最初にやっていたゲームにはゲーム内掲示板があって、その中に運営に対する不満を書きこむスレッドがありました。何気なく見ていたその中で1つの書き込みが目に留まりました。

 その書き込みは要約すると「○○を改善してください。自分たちがどうしてこのようなことばかり言うのかというと、楽しかったからです。もう一度あのときみたいにゲームに熱中したいからです」というものでした。その書き込みを見たときに先の疑問が自分の中で解決されたような気がしました。

 その書き込みをした人はランキングにも度々名前が出るようなかなりアクティブな方でした。その改善点が運営の改悪によって発生したものだとは特段感じられず、元々そういうシステムではなかっただろうかと思いましたので、その書き込みを見たときに変わってしまったのは運営ではなくプレイヤーだと思いました。

 元々楽しんでいた人が不平不満を言うようになっていくのは、ゲームに飽きた始めた人が、もう一度楽しかった気持ちでゲームがしたいともがき苦しんでいる姿かもしれないと思うようになりました。ゲームに対しての情熱が冷めてしまったことを受け入れられず、その歪みを運営やゲームにぶつけているケースもあるということに気がつきました。

 

 

 どこで見聞きしたか忘れてしまいましたが、最も幸せなときに死にたいという発言を聞いたときに衝撃を受けました。最高潮のときに人生を終えるというのはとても刹那的で過激に思える反面、そういう考え方もあるのかと強く印象に残りました。まぁでも最高潮であるが故にその状態を終わらせようとは思えなかったり、ほとぼりが冷めたあとに更なる満足感を求めたりと、この考え方を実行するには難しい所もあると思います。ですが、確かに楽しかったものがだんだんとつまらなくなっていって、最後にはマイナスの感情を抱えたまま終えるのはあまりにも悲しいので一理あると考えています。

 このスタンスで人生を全うしようとは思いませんが、やめても実害のないソーシャルゲームにはこのスタンスはありだと思っています。

 20XXは1500日以上やっていて、それだけやっていると達成感からもうやめてもいいやと思えたタイミングが過去に2度ありました。まぁそのタイミングで一時的な休止はしても完全にやめずに今も続けています。ゲームは娯楽ですし、たとえ休止してもやりたくなったらまたやればいいと考えているので、明確に引退を決めるつもりはありません。20XXというタイトルから残り80年近く続く予定とのことで、その間にいつ気が変わるかも分かりませんし(笑)

 ゲーム内掲示板で見たことについては他人事ではありません。知らない間にストレスを感じ、不平不満とは別の形でいつの間にか歪みが発生している可能性はあり得ます。

ゲームに飽きてしまうことよりも嫌な気持ちのままゲームと決別することになってしまうことの方が怖いです。やっぱりゲームをした時間はいずれ楽しかった思い出として残したいので、少なくとも文句を垂れ流しながら続けたくはないという気持ちはどこか持ちながらプレイしています。いつかその時が来そうに感じたら良いタイミングを見つけて距離を置きたいと思います。